ぼんやりお母ちゃんの白血病奮闘記

1歳の娘を残し、急性骨髄性白血病と突然闘う事になったわたし。長い入院生活等で思ったことを綴ります。

救急搬送。

こうして再び付き添いの母と救急車で再搬送される事になりました。


点滴を入れてくれたおばちゃん看護師さんが、別れ際に「頑張るのよ」と、優しく言葉をかけてくれました。

その言葉のあたたかさと、重みといったら。。。


感謝の気持ちと、これから起こる事への不安と恐怖と。

住み慣れた土地を離れ、遠い病院へ。



どんどん悪化し、苦しみながらやっと到着すると、10人以上のお医者さんや看護師さんが待ち構えていてくださいました。


そこからはもう、目まぐるしいスピードで色々な事が進んで。

ストレッチャーはものすごい速さで集中治療室に向かい、いち、にの、さんで手術台に乗せられ。

あっという間に身ぐるみ剥がされ、おむつ装着、身体の至る所に管やコードを装着、そして酸素マスク。

天井には手術シーンでよく見る丸い眩しい照明が、ピカーと光ります。

「ここがどこか分かりますか?」

と言われた時には、ああ、これはもうドラマのようだと思いました。



色々機械を付けられながら聞かれた事で覚えているのは

・年齢

・いつから症状があったか

・思いあたる事はあるか

・既往症

・アレルギーはあるか

・結婚しているか

・手術、輸血の経験はあるか

などなど。


実はすでに最初の病院で同じこと聞かれていたので、また答えるのかぁと思いつつも、必死に思いつく限りの事を答えました。

もう、熱は恐ろしく高いし身体中が激痛だし、息も絶え絶えだったのですがね、必死に食らいつきました。


私は元々貧血があり、2ヶ月前の健康診断では白血球減少症の恐れありと診断されていたのでそれを伝えると

「なんでさっさと病院行かなかったの。」

と、冷たい視線(笑)

育児、引越し、仕事、家事プラス直前まで娘の看病をしていた為、病院で診てもらうのは忙しくて後回しにしていたんですね。

みなさん、ありますよね?仕事が忙しくて病院にいけない、とか。

それ、こういう状況で、集中治療室で、死にそうな時にお医者さんに言っても、全く理由にはならないのだと、その無言の冷たい視線で気付きました(笑)



周りで色んな方が色んな作業をしてくれている中、先生が言いました。

「明日の朝までもつか、五分五分と言った状況です。」

まさか1日のうちに、別の人から同じ台詞を聞く事になるとは。

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