もう2度と味わいたくないICUでの闘い。
ここから始まる集中治療室での孤独な闘いは、1年経った今思い返すだけでも辛いです。
こうして字に起こすのもしんどいくらい、本当に苦しいです。
この段階では、白血病の言葉は出てきません。
誰も気づいていなかったです。
今思い返すと、もう白血病を発症していた為に免疫が恐ろしく下がって急な重度の肺炎になったのだと分かるのですが、それが発見されるのは、まだまだ先のことです。。
ただただひたすら、この時点では肺炎を乗り越えること、それだけでした。
乗り越えないと私いなくなっちゃいますからね。。
敗血症の疑いもあったようです。
本当に危ないところでした。。
しばらくすると母がICUに入ってきました。
管だらけ、酸素マスクを付けて息も絶え絶え、目が虚の娘を見て、さぞかしショックだったでしょう。
私も心配させないよう、最大限の強がりの対応をしました。
死ぬほど辛かったけど、辛いなんて言いません。
いやー、まいったねぇ。
コンタクトはずしちゃって見えないから、メガネ持ってきてね。
管だらけで動きにくいわ。
脱がされた服、持って帰ってね。
外した結婚指輪、無くさないでね。
スマホはここではいじれないし触る気力もないから、持って帰ってね。
旦那さんに連絡しておいて。
娘をよろしくね。
なんか、ごめんね。
まあ、大丈夫よ。
母は何て言ってくれたかな。忘れちゃいました。
でも、母が出て行った後に涙がつたったのは覚えています。
ドアについた小さな窓越しに、お互い弱々しく手を振りました。
寝ながら必死に、見えなくなるまで母の後ろ姿を追いました。
ああ、心細い。
なんてこった。なんだこの状況。
また家族に会えるのかな。
一人だ。私、一人だ。
さっきまで家にいたのに。
すぐ帰れると思ったのに。
知らない場所のICUで、冷たい雰囲気の誰もいない部屋で、看護師さん達も出てっちゃって、時計もなくて、窓もない。
背中痛いよ。
喉乾いたよ。
娘にまた会いたい。
愛してるよ、大好きだよと、たくさん伝えればよかった。
そんな事をぐるぐると考えていました。
休みなく強い抗生剤を点滴。
そのためか、恐ろしいほどの水様の下痢が頻繁に。
咳と痰もひどくて、その都度酸素マスクを必死に自分でずらして痰を捨てます。
とにかく吐き出せと言われたので必死。
背中の激痛のため、同じ姿勢でずっとは横になれず、数十分おきにナースコールで姿勢を変えてもらいました。
この歳でおむつを替えてもらう情けなさもありました。
おむつの替え時が分からず、毎度毎度呼んでしまい、看護師さんには、本当に申し訳なさと感謝です。。
未だにわからん。
一回ずつ替えてもらってよかったのかな?何回かしてから?
すごい頻繁だったから、迷惑だったろうな。
汚い話ですみません。
一番苦しかったのは、もちろん身体の辛さもそうですが、
ICUにいると、まず時間の経過が全然分かりません。
時計がないから。
窓もないから、今が朝なんだか夜なんだかもわからない。
自分が寝ているのか起きているのか、朦朧としてきて混乱する。
両腕と身体中にコードや点滴の管が付いているうえに顔には酸素マスクが付いているので、思うように動けない。
肺炎のお陰で背中が激痛だけど、寝ているのも手術台みたいな硬めのベッドだから、身体がとにかく痛い。
ベッドの幅が狭いから、万が一寝返りなんてうったら落ちるのではないか。
熱がとにかく高くて苦しい。
部屋に響くは、機械音のみ。
不眠。幻覚。
そして、不安と孤独。
早くこの苦しい時間が過ぎて欲しいといっそ寝てやり過ごしたいのに、寝れない。
寝て逃げたい気持ちと、寝たらそのまま起きる事はないのではないかという恐怖。
必死に抵抗して意識を失わないように抗って。でも、怖いからいっそ寝てしまいたい。
この矛盾との闘い。
全て、ほぼ周りに誰もいない中での孤独な闘いです。
ICU症候群という言葉は、このブログを書くきっかけで知りました。
同じような心理状態になるものなのですね。
正直、白血病とわかってからの闘病も苦しかったですが、一番は、まだ白血病ともわからずただただ突然にICUに入れられてひたすら死にたくないとボロボロの身体と共に生にしがみついた、この時間が一番辛かったです。
ただ、この時間を乗り越えた自信が、この後抗がん剤治療で辛い時の糧になったと思います。
あれより辛い事はない、と。
なので、長々と書きました。
長いですね。
白血病と診断されるのは、この1週間後です。