ぼんやりお母ちゃんの白血病奮闘記

1歳の娘を残し、急性骨髄性白血病と突然闘う事になったわたし。長い入院生活等で思ったことを綴ります。

まさかの、生きるか死ぬかの状態でした。

生まれて初めての救急車で、近くの夜間外来に運ばれた私。

19時過ぎてた頃かな。



ちょっと高熱だけど栄養剤?とか点滴してもらえば良くなるかな、すぐに帰れるよね。

としか思ってなかったので、救急車の隊員にも「何だかすみません。すみません。」とずっと平謝り。



でも。


レントゲンを撮ったら、肺がまっっっしろ。真っ白。



担架のまま点滴を始めてもらっていた私に向かって、当直の先生がひと言。

「、、、なんでもっと早く来なかった!?我慢していいレベルじゃないだろっ!!」

すごい形相でした。

私、自分で知らない間に、かなり危険な状態だったそうなんです。



先生は静かに、そして焦りながら、私に説明してくれました


・すでに重度の肺炎を患っている。

・まだ若い人が、前触れなく突然こんな重い肺炎にはならない。考えられない。

・SARSも考えられる。(えっほんと!?私最近海外行ってないのに!?)

・ここでは対応できるレベルではない。一刻も早く大きな病院の救急に行く必要がある。

・いつ意識が無くなってもおかしくない状況。

・あんた、明日の朝までもつか五分五分ってところだから。




、、、え?

朝までもつか、、五分五分?


え?だって、私、意識あるよ?

そんな状態の人って、もう危篤状態なんじゃないの?

え?え?だって。私、すぐに帰れると思って来たんだよ?

まだ赤ちゃんの娘がいるんだよ?

私の帰りを当たり前のように待ってじいじと遊んでる娘がいるんだよ?


死ぬの?嘘でしょ?



母親も治療室に呼ばれ、肺のレントゲンを見ていて。

説明されてもピンとこないのか、早く病院くればよかったね、、なんてぼんやり話していて。


寝ながら点滴され、呆然としている私の横で、救急隊員の方が近隣のERや大きな大学病院に受け入れを依頼するも、ことごとく断られました。

一刻を争うんだ!何してんだ!見つけろ!と焦る先生。



ああ、救急ってなんだろう。ERってなんだろう。

こんな辛くても死にそうでも、何件も受け入れてももらえないなんて。この日本で。東京で。嘘でしょ!?

そんな事を愕然としながら考えていると、見兼ねた先生が自分の携帯を取り出しどこかへ電話し始めました。



「一刻を争う30代女性!!肺炎!SARSの疑いもあり!!!どこも断られてんだ。ああん!?一人くらいいけるだろうがっ!!生きるか死ぬかの問題なんだよ!!」

先生の普段いる病院なのでしょうか。出身病院なのでしょうか。

わかりませんが、先生がブチ切れながら直接ねじ込んでくださいました。

切れていたのは、どこも受け入れてくれなかった大病院へ向けてでしょうが、その剣幕さに、事の重大さを思い知ったのです。



あの先生には感謝しかありません。

もし断られ続けていたら、きっと死んでいたでしょうから。

ここで、運命が決まったのだと思っています。



そして、受け入れを決めてくれた病院に急いで搬送される事となります。

それは、思った以上に離れた病院でした。

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